死んだ親父が何の仕事をしていたか、実はよくわかっていない。
家では仕事のことは一切話さないし仕事中の書斎に入ることはご法度だった。仕事モードのオーラのようなものは昔から感じており圧倒されたもんだ。

しかし死んでから10年以上経って、国会図書館やamazonで死んだ親父の名前を見るとは思わなかった。
自分が生まれた後のものより、前のほうが圧倒的多くその多くの論文をいずれすべて入手して読もうと思っている。(閲覧だけでコピー不可のものも存在する)

根本的な部分で自分と親父は考え方が違う。

自分は弱者の味方が必ずしも正しいとは思わないし、正しいことが正義であり勝つとも思ってはいない。
それに米への大きな敵対心もない。公務員が優れているとも思わないし役人など偉くもなんともない。
しかし、そのブレない姿勢。子供から見ても鋭い視点とやたら弁の立つ部分など周囲に多大な影響力を与える才能はあったと思う。

自分は当然少なからず影響を受けており、親父の視点というのは自分にとっての複眼的要素でありなんでも都合の良い部分だけひょいひょい受け止める人間とは思考回路が違うと思っている。
歴史的世界的視野もここ10年、20年などでなく戦前から考えるようにしているのも親父の視点からの副産物だ。
昔は気が付かなかったけど、最近はそう考えるようになった。

それはもしかすると親父がずっと考えていたレールがあり、反発を繰り返しながらも思考を鍛えこうなって欲しいという願いが込められていた可能性もあると思う。
まんまとそれに乗ってしまったからこその今なのかもしれない。

そんなことを父の日に考えている。