2017年03月16日

自分で判断

Webの普及とともに他人のレビューや評論家のコメント、売れ行き、いろいろな判断材料が身近になった。
それを「見るな」「使うな」という気はないけど、あんなもん不味いラーメン屋にも一時的な行列ができるのと同じでありがたがるようなものじゃない。

たとえ誰しもが面白いと評価しても、自分自身つまらないことなどいくらでもあるしもちろんその逆もある。
それも結構多い。

なぜか?大半の人は自分で判断していない。誰かが旨いといえば旨いというし、不味いと言えば不味いという。それだけ権威に寄り添っている、何かを誰かを頼りに自分の評価を捻じ曲げる。

90年代後半、Mazda社のインパネはプラッチッキー(造語)ということをもう逝去した乗りもしない評論家先生が何度も酷評したことを真に受けて、同じ評論をど素人も散々書き散らかしていたけど自分が見た限り(所有した)スバルも三菱もトヨタも全部同じようなもの。(同じメーカーが作っているところもある)そりゃクラウンあたりと比べりゃ違うけど所詮おなじ樹脂だろと。中だけ入れ替えればわかりっこない。
それでも何度も何度も書く。それを真に受けた人が同じ感想を拡散するという構造。
それもさすがになくなったけど。
自動車評論家なんてメーカーから冷遇されるとぼろくそ書いて脅すだけのクソみたいな仕事なんだから真に受けるのはどうかと思うけど。

同じようなもので「ゆとり教育」=「徒競走で手をつないでゴール」だけど、実際そんな学校は存在しない。(あったら教えてほしい)
多分、誰かが書いてそれを何度も何度も拡散をしてあたかもあるように錯覚している。

結局、自分自信で判断しないとダメ。
そのうち何が自分にとってあたりで何がはずれか見極められるようになる。



jjj850 at 18:30│Comments(0)いわゆる日記(月記)ですか 

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